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2000 September

2000年9月11日 集中豪雨災害@名古屋(1年の降雨量の1/3が。。。)
11日昼過ぎからの雨。なにが気に入らないのかと思うくらい怒り狂ったような雨だった。夕方6時頃、打ち合わせを終えてふと携帯電話を見ると、5時半ころに実家から何度も電話が入っていた。外を見る。「やばい!!、すっげぇ雨だ!」。

実家は庄内川と新川にはさまれた中州地帯にあり、土地も低くちょっとの雨でも床下浸水するのだ。すぐに実家に電話をいれるも受話器からはツーツーツー。。。。何度電話してもツーツーいうばかり。TAが水に浸かったか?実家の私の部屋の床にTAが設置してあり、床の高さは道路より少し高い程度。間違いなく床上浸水してる!そう思いつつ、仕事を切り上げ、母親を迎えに行くことにする。母は伊勢湾台風を経験しており、雨が大嫌い。さぞ心細いことだろう。

会社を出て206に乗り込み駐車場を出る。駐車場は栄の女子大小路なのだが、駐車場を出てすぐ、道路のいたるところが冠水していることに気付く。しかし5cm程度の冠水なので走行には支障がないと判断、100m道路(若宮大通り)に出る。すごい車の量だ!のろのろと西へ向かって走る。100m道路で最も低い「ランの館」のある交差点で停止。10cm以上の冠水だ。おまけにどんどん水が流れ込んできている。「たのむ!動いてくれ!!」祈るような気持ちで信号が青に変わるのを待つ。なんとか危険地帯を脱出しそのまま西を目指す。水主町(かこまち)の交差点で信号停止。直進すると100m道路のつきあたり名鉄バスセンターへの入り口方面。いつもはこのルートで帰るのだが、どうみても20cm程度冠水している模様。しかたなく右折し、柳橋方面を目指す。ここまで約40分。いつもなら5分程度の道のりが。。。 ここで妻から電話が入る。名古屋駅まで、迎えにきて欲しいとの事。しかしこの渋滞と冠水では無理。地下鉄で帰ってもらうことにする。早く実家に行かなければ。。。

なんとか柳橋交差点を左折し広小路に出る。笹島交差点あたりは冠水もなく順調に流れる。笹島交差点から西は道が低くなりかなりの冠水があるだろうと予測し、ガードをくぐってすぐに左折。JR東海総合病院の先「千成通り」に入る。しかし大渋滞で10分待っても先に進まない。えぇいとばかりに1本南の路地に入る。これが失敗だった。。。20cm以上の冠水なのだ。道路はガラガラなのだが冠水がひどい。注意深く進行するが、Fスポイラーが水の抵抗になりクラッチが何度も滑る。マフラーも水の中にあるのか排気音がおかしい。エンストしそうになりながら米野小学校東という交差点にさしかかる。ここを左折すると黄金陸橋。しかし私は直進。かなり冠水しているがここを直進しなければならない。が、前の車がエンスト!おまけに信号が赤に変わる。この道中最大の危機だ!激しい水の流れがドアにあたる。背の高い4WDが何事も無いように悠々と冠水した道路を走っていく。それに比べ、ウメ猫号の車高といったら。。。いやはや。。。 さ、青だ。エンジンを吹かしてクラッチを繋ぐ。普通ならタイヤを慣らしてダッシュするはずなのだが、力なくヨロヨロと発信。「大丈夫か?」唸りを上げるエンジンにカツを入れながら乗り切る。なんとか交差点を通過したが、その先もひどい状態。この段階で保険が頭をよぎる。万が一水没しても大丈夫なはずだ。安心したわけではないが、実家へ行かなければならないのだ。やっとの思いで旧中村図書館までたどり着く。すでに時計は8時を回っている。このあたりは、さほど冠水しておらず、そのまま広小路に出て、大正橋を目指す。が、どうにもエンジンが吹けない。何度も吹かしながら、大正橋にさしかかる。 ここは庄内川にかかる橋。どれくらい増水してるのだろうと思い、目を凝らしてみる。なんと、八分目くらいまで増水してるではないか。堤防のいたるところに赤色灯を回した消防車やパトカーが警備している。橋を渡りながら、マジに「今、橋が流されませんように。。。。。」って祈る。橋を越えて左折。大治自動車学校を超えれば実家だ。増水した庄内川の堤防を恐る恐る走りながら、実家にたどり着く。

やはりTAは水に浸かっていた。ウメ猫家始まって以来の事だ。床上浸水なのだ。それも私の実家だけが浸水している。周りの家より一段低いところに建っているので、水が全部実家めがけて流れ込んできている。いったいどの程度浸水したのかわからないが、とにかく母を!と、携帯で実家の向かえの家(ここは浸水していない)に電話する。ほどなくすると、そのお宅から母が出てきた。よかった。何はともあれ母をウメ猫号にのせ、中村区の自宅を目指す。万場大橋を渡り、地下鉄岩塚駅交差点にさしかかる。が、ここもかなり冠水している。交差点を避けて回り道し、自宅に向かう。いつもの交差点から自宅方面へ入ってビックリ。まさか冠水していないだろうと思った道路が膝くらいまで冠水。Uターンして再び回り道。なんとか自宅の近くまで行くが、どうにもヤバそう。仕方なくちょっと高くなってる所に駐車。ズボンを膝まで捲り上げて徒歩で自宅に帰る。

時計を見ると9時。疲れたぁ! というような、とんでもない豪雨だったわけである。このあと新聞・TVで報道された西枇杷島地区や、天白区あたりの水害が発生したのは周知の事実。都市型災害などと言われているが、都市もへったくれもないほどの豪雨だったのだ。文明は自然の前ではホントに無力ということを思い知らされた災害であった。
 
富士カメラ5


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