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2001 December


2001年11月27日
 東京出張いざ行かん!
週末まで東京出張である。ビジネスの成功がこれにかかっている。私と相棒は気合いも十分。いざ行かんと東名高速を東に走る。


あまりに気合いが入っていたためずいぶんと早い出発となってしまい、時間が余ってしまうことに。そこで、一転のんびりモードで富士山を見に行くことに。とりあえず御殿場で降りて山中湖を目指す。平日の昼間ということで山中湖までスムーズに到着。富士山はあいにく肝心の山頂付近が雲に覆われ見えない。。。


快晴なのに、富士は顔を出さない。つまらない風景写真になってしまった。
気を取り直して一路下道で東京を目指す。山中湖から丹沢湖を経由しての道のりだ。ちなみに高速道路は相棒に我が206を運転させたが、高速を降りてからは私の運転である。 ワインディングを結構なスピードで駆け抜け、無事六本木プリンスホテルに到着。プリンスホテルを選んだ理由は私の友人(石原裕次郎に似ている)が蒲郡プリンスホテルの要職についている故、電話でもしもしすれば格安価格にて部屋をとってくれるためだ。ありがたいことであるが、この特権は私にしか与えられていないので、念のため。

28日からミィーティングの連続で、都内をあちらこちらへと忙しく移動。青山1丁目付近で信号待ちをしていると歩道にあふれんばかりの落ち葉。その落ち葉で遊ぶ家族がなんとも心温まる。すかさず後部座席から愛機F2を取出しシャッターを押す。

肝心の仕事であるが、これがサッパリ。30日の午後まで粘ったが思うような成果をあげることもできず、失意の帰路となった。首都高から東名高速に入り名古屋を目指すが、相棒よりも深い失意の底にあった私は、途中沼津で相棒の制止を振り切り高速を降りる。こういうときは、頭の整理が必要なのである。作戦が失敗したからといってそこであきらめるのは男子の本懐ではない。そう、作戦を立て直すのである。そのためには高速道路をボーっと走ってる場合ではないのだ。ということで、1号線をひたすら走る、そして頭をフル回転させ作戦を練る。これぞプロというべき行動なのだ。そんな私を応援するがごとく帰りの富士はきれいだった。途中田子ノ浦により写真を撮る。


モノクロで撮ったのではない。スキャナーの調子が悪くグレースケールになってしまったのだ。コンビナートの向こうに見える富士、しかもモノクロである。これはこれでシブイ写真ではある。


さすがに精神状態がよくないのか今回の写真は前半と後半ではぜんぜん出来が違う。被写体にもよるが写真というものは写し手の心が写るものなのだ。その基本を思い知らされた東京出張であった。




2001年12月29日 激動2001
大変な一年であった。私個人にとっても社会にとってもだ。いったい何が狂ってしまったのだろう。年賀状を印刷しながら、つくづく激動の一年を振り返る。バブル崩壊後の記録的な景気低迷、株安テロ戦争円安リストラ。。。こうして自宅のパソコンでDiaryを書いていられるのが奇跡的である。しかし、世の中なんて元々そんなものなのかもしれない。常に不安定で油断できないものだったのじゃないだろうか。だからこそ、人間は恋をし結婚をし子供を作り安定を求める、あるいは、仕事に打ち込み友と語り夜を明かす。そうして少なくとも自分の回りだけは安定させようとする。一瞬の心の安らぎを求める。世の中なんて安定しないものなんだって本能的に私たちは知っている。だからこそ今が大切なのだ。明日、会社がつぶれるかもしれない。突然命を失うかもしれない。他人事ではない。日常茶飯事なのだ。絶望的になる必要は決してないが、最悪の事態を予測しその対処方法を準備する。そして悠々と生きていく。これが危機管理の基本である。そう、今こそ私たちに必要なのは危機管理能力なのだ。国家レベルの危機管理とはもちろん異なるが、個人レベルで最低限の危機管理をしなくてはいけないのではないだろうか。そんな事を思い知らされた2001年であった。

私事でいえば、今秋大きなプロジェクトがコケ、えらい目にあった。10月11月とかかりきりになっていたので、その影響たるや一家離散の危機に陥るほどであった。タフな私もさすがに精神面、金銭面ともに惨憺たる状況であったが、12月に入り事後処理を速攻でこなし、何とか年を越せるまでにこぎつけた。まだまだ安心はできないが、それでも2月以降の目処は付けたのである。ここに至る過程で己の不運を何度も恨んだが、よくよく冷静に考えてみると原因が必ずあり、その時折の判断ミスが重なっていたのだ。なぜ判断ミスを犯したのか。それさえ判れば軌道修正は簡単である。ビジネスは戦争である。人の話を鵜呑みにした私がいけなかったのだ。このまま戦場で犬死にしてはいけない。ならば、なりふりかまわず撤退し、兵を整え再度出陣すればいいのだ。

ジングルベルが街中に鳴り響く中満身創痍の私は無事帰還し2002年に向けて兵を整え作戦を練り上げている。

私たちにとって2002年がどんな年になるのかは判らない。しかし自ら何かを勝ち取っていくという強さを求められる年になることは間違いないと思う。
 
富士カメラ5


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