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2002 September

2002年9月4日 長野県知事戦
まんまと田中元知事に「してやられた」ってのが今回の知事戦だな。ファシズムだ独裁だと声高に叫ぶ県議たちが感情論にはまっていくなか、冷静に知事選に持ち込み、そして再選。あくまでも田中の目論みどおりである。不信任を叫んだ県議たちは、長野県民が旧態依然とした県政にうんざりしていたってことに気づかなかったのかねぇ。

巨額の金が動く、即ち利権のかたまりの「ダム建設」を捨てることが出来ない「欲」に県議たちは支配されていたのだろう。対して田中にはそんな「欲」などないのだ。文筆業での印税でたんまりと貯金があるのだ。さぞかし県議達は「うっとぉしい奴」って思ったのだろう。だって、テメェ達のサイフにかかわることかもしれないのだもの。県議全員がそうだとは言い切れないが、うさんくさい県議だっているものなのだ、政治の世界ってのは。

私の父も地方政治であるが、政治家であった。小さな町村であったが、その街にラブホテルが建設されることになったことがある。多くの議員が住民感情を煽り、反対に回ったが、法律に照らし合わせて「問題なし」との判断をしていた父は、唯一「建設差し止めは不可」と議会で発言をした。議会は紛糾したが、しばらくすると私の実家、即ち父のもとに建設業者の社長が訪れ、「お世話になります。今回はお骨折りいただきありがとうございました。ほんのお礼です。」といって菓子箱を差し出した。父はその場で箱を開け(中には現金!およそ1000万円)、すかさず「甘いモノは口に合わないので」と言って返したのである(もらっときゃぁイイのに!)。その後、その現金は反対派議員へばらまかれたということである。
ラブホテル建設ですら、こんな事が起きるのだ。数百億円が動くダム建設なら言わずもがなである。

東京からやってきた、「妙な男」に今まで利権のしくみを必死になって守ってきた長野県議は「やられた!」って感じなんだろうね。でもそんな「妙な男」に頼らなければイケナイほど長野県民は現県議に不信任を突きつけたのだろう。
こうゆう住民主体の政治ってのが、どんどん出てくると日本も多少は変わるのだろう。そういう意味で、耳障りな田中のしゃべり方も日本の政治に一石を投じたと言える価値があるな。



2002年9月8日 同窓会
9月7日、夕方4時から夜中の2時まで、高校の同窓会で盛り上がった。3年ごとくらいに開催される同窓会で旧交を深めるわけだ。
我々の世代(昭和35年、36年生まれ)の年のとりかたってケッコウ素敵で、男も女もキレイに年をとっている。会社を経営し波瀾万丈な奴がいたり、長くサラリーマンを続けどっぷり安定している奴、離婚して女手ひとつで子供をしっかりそだてている子がいたり。これは、どの世代でも同じなのだが、我々の世代というのは、どことなくそんな人生を見せないと言うか、身体からそんな生活臭みたいなものが臭ってこないのだ。みんな輝いているっていうのかな。自分で言うのも何だがカッコイイのである。

酒をのみながら、「お前の携帯って全然つながらんなぁ。相談したかったのに」と懐かしい友人。「どうした?」「離婚したんだよ。子供もとられてさ」「そうか、そりゃ辛いな。ま、飲め」なんて言う会話があちらこちらであっけらかんと話される。女の子も「へぇ、離婚したんだ。**ちゃんも離婚したんだよ。どう?**ちゃん」なんて割ってはいってきたりする。実に明るいのだ。そりゃぁ一人になればずっしりと重いこれらの人生の出来事も、とらえ方次第であるってことを我々は知っているからなのだ。でなきゃ、先日亡くなった友人のように命を落としているのだろう。そう思える実に内容の濃い同窓会であった。

定期的に開催されるこの同窓会の後、年をとるってのも悪くはないなっていつも思うのだ。で、夜中まで盛り上がった後であるが、おとなしく帰る者、どうも怪しいぞって感じで帰る者、いろいろあって。。。かく言う私はもちろん怪しいパターンであると正直に記しておこう。
高校時代キレイだった子はやはり40歳をすぎてもキレイだった。



2002年9月14日 うさんくさい
戦争フェチのブッシュが力んでいる。なぜそんなに戦争がしたいのだ?湾岸戦争以来壊滅的な状況のイラクがそんなに危険なのだろうか?相手はビン・ラディンだろうが。CIAのハイテク調査をもってしても探し出せないからといってイラクに攻め込むというのは、なんだかうさんくさいぜってもんだ。

深く考えるまでもなくブッシュ一族は古くから石油利権を牛耳ってきた。最近の株安やIT不況で懐が寂しくなったのだろう。だから、アラブ諸国を不安定にさせて、石油価格の高騰を導きガッポリ儲けたいのである。そのためには戦争である。戦争こそ金のなる木なのだ。戦争しかないのだ。あらかじめ儲かるインフラを用意しておいて満を持して戦争をしかける。戦争を仕掛けられるのはイラクであるが、連鎖的にアラブ諸国は政情不安定に陥る。即ち石油価格が高騰する。あらかじめ石油インフラを持っているブッシュはホワイトハウスで眠っている間に枕元のレジスターにたんまりとお金が入金されてくるのだ。チャリンという音とともに。

2001年9月11日のテロにおけるアメリカ国民の感情を巧みに利用し、己のサイフを太らせる。うまくシカケを仕込んで儲けるユダヤ商法の典型であるといえる。小泉はともかくとして世界各国が疑問符を投げかける今回のイラクに対する宣戦布告も、強国アメリカの暴走としか思えない。というより、強国をバックボーンにしたブッシュ個人の商魂の現れなのだろう。

得するのは我々日本人でもない、悲嘆にくれるアメリカでもない。ブッシュ個人である。こういうのを「うさんくさい」と言わずして何をうさんくさいと言えばいいのか。。
Jhon lennonが叫んだ「War is over」という言葉が懐かしい。ピュアにそして我々人類に叫んだこの言葉。しかるに商魂たくましいブッシュの前では空虚に響くだけなのが悲しい。



2002年9月18日 日朝首脳会談
あいも変わらず近くて遠い隣国は「我が国の偉大なる総書記が日本の小泉首相と会談したスミダ」って力んでる。破産寸前の貧乏国が何言ってんだって。プライドだけが頼りの路上生活者と一緒だって。今回の拉致された方々についての発表だって、「正直に謝るから、援助してハセヨ」って裏取引があったに決まってんだって。間違いなく。

さすがにアホな小泉も日本国の国民感情を考えると「ふざけるな!」って一蹴できない弱みがあったんだろうね。拉致疑惑の解明というか「やっぱりな」って確信を日本国民に持ち帰らなくてはならなかったんだもん。そういう意味で今回の会談のイニシアチブは北朝鮮にあったのである。北朝鮮の目的は日本の援助でしかない。金が無いのだ。飯も食えないのだ。拉致疑惑を認めることなど、なんの苦もないのだ。「カムサハムニダ」で終わりである。要するに「ごっつぁんです!」である。目的を達成した北朝鮮の勝ちなのだ。唯一、北朝鮮の好きにしないために日本の貨幣価値で、拉致された方々の逸失利益を計算し請求してやれば、かの国は間違いなく息の根が止まるってもんなのだが。それこそが、国民感情だろうにね。で、「難民が大量発生するからたのむねっ」て韓国と話を付けておけば一般市民にとっては、願ったりかなったりのハズなのだ。

第二次大戦でアメリカに徹底的に叩かれた日本にはプライドというものがそれ以来、無くなったのだろう。人の顔色ばかり見てしまうようになったのだ。たとえ、こちらが有利な立場であっても。かつての武士道のかけらも無くなってしまったのだ。

もうだめだ、日本の外交は。 いったいいくらこの乞食国にブン取られるのであろう?「やっぱり犯人はお前か!、よーし、経済封鎖してやる」って言えばいいのに。苦虫噛みつぶして握手なんて必要ないんだって。腰に差した太刀を一振り「切り捨て御免」でいいのだ。こんな事は。
まったくもって不愉快な「朝・日(北朝鮮風に)首脳会談」であった



2002年9月25日 神
私のヒーロー、アイルトン・セナはよく「神」を引き合いに出した。彼が初めてワールドチャンピオンになった鈴鹿で彼は神を感じたという。生涯最後のレースとなったサンマリノGP@イタリアの前日に彼は母親に電話をし「主はいつでも自分の息子を呼び寄せることが出来る」という聖書の一節を話したという。あたかも自分が呼ばれたというがごとくに。。。

先日、メディアウェブの加島さんと晩飯を食べていてシューマッハVSセナの議論になった。私はシューマッハに感動を得ることが出来ないのだが、加島さんは元レーシングドライバーの立場からシューマッハの凄さをこんこんと私に説いた。議論はどこまでも平行線だったが、セナ最後の瞬間、「神」が導いたのかもしれないという私の自説で意見が一致した。セナがタンブレロコーナーの壁面めがけて一直線に向かっていったのはあまりにも不自然だからだ。

シューマッハの乗るベネトンに比べ、開幕戦から調子の出ないウィリアムズを操るセナの苛立ちは並大抵のものではなかった。それでもポールポジションを獲得し、運命の瞬間までトップを走った。タンブレロでいきなり右にステアしたのはマシントラブルでもなくセナのミスでもなく、単に神が彼にコースを示したのだろう。神の導くままにそのラインに彼はステアした。つまり「主が彼を呼び寄せたのだ」ということである。

私はかねてから自分の意志とは別次元にある誰かの意志を感じてきた。それが神なのか何なのかは解らない。しかし、確かに何らかの意志を感じるのだ。なんとなく、静かに微笑む誰かがいる。そう思う瞬間って皆さんにもないだろうか?
セナは神の導きに従った。そう思うと日常の様々な苦楽が誰かの意志によってもたらされていると思えてしまう。私はこうしたい!こうなってほしい!と思うならば、彼の耳にその思いが届くように叫ぶしかないのだ。
宗教を否定はしないが、宗教がたとっだ道筋、すなわち、神があたかも物を言ったがごとく信仰心をあをり勧誘するのはNG。神あるいはそれに類した絶対的な存在は、あなたの心のなかに存在するのだから。あなたが生まれたときから。
私は宗教とか神を信じることはない。しかし、絶対的な存在があるかもしれないと思っている。人生長く生きてくると常識などでは計り知れない事が起きるからだ。
 
富士カメラ5


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