名車プジョー205はWRCでの活躍もあり世界的にヒットした名車としてラテン車ファンにいまだ根強い人気があります。その名車プジョー205の血統というべき後継車がプジョー206です。1998年にデビューし1999年にはWRCにも参戦。2000年ははやくもチャンピオンになるという205がたどった軌跡を走り始めたのです。そんなプジョー206と私の関わりをニコン製フィルムカメラのF2・F3・F4S、およびデジタル一眼レフカメラD200で撮影した写真で紹介したのがこのサイトです。賛否はありますがサーキットや峠を走り回る私の記録です。もちろん家族の写真や旅の写真などプロカメラマンとして恥ずかしくないまじめなものも多く掲載しています。
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2002年10月7日 衰えている 10月5日、尚吾が通う保育園で運動会が開催された。午前9時から11時30分までという短い時間だ。久しぶりにカメラをぶら下げ、尚吾と保育園に。ちょっと早めに出かけたのだが、園についてびっくり。満員なのだ。子供の両親・おじいちゃん・おばあちゃんがごったがえしている。そして皆の手には最新のデジカメやデジビデオが。私はというと渋くニコンF2だ。どうせそんなことだろうと予想していたので、あえて古いニコンにしたのだ。 豆粒くらいにしか写らないであろう距離でもみんな一心に撮影していたが、私は要領良く特等席を確保し、美しいメカニカルシャッター音を響かせたのである。この特等席を確保するというのが、写真の基本である。ロープでこれ以上前にでないでって規制されていようが、遠慮していてはイケナイ。叱られてもひるんではいけないのだ。私はロープより前に平然と構え、しかも競技や他のギャラリーの邪魔にならないように注意し撮り続けたのだ。この保育園の関係者と思われるくらい堂々と撮影できたのはいうまでもない。しかし、特等席とはいえ、多少無理な姿勢を強いられ腰が痛くなったのにはマイった。 現役の頃、鈴鹿8耐の取材時にはカメラ3台、300mm&500mmレンズをぶら下げ、なおかつカメラバックという荷物を背負って鈴鹿サーキットを徒歩で2周もしたものだ。それに比べなんとも情けないじゃないか。たかが2時間ほど立ってただけで腰にくるとは。。。これを衰えと言わずしてなんという。がく然とした私はその夜から腹筋と腕立て伏せを日課にしたのであった。