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2002 October

2002年10月7日 衰えている
10月5日、尚吾が通う保育園で運動会が開催された。午前9時から11時30分までという短い時間だ。久しぶりにカメラをぶら下げ、尚吾と保育園に。ちょっと早めに出かけたのだが、園についてびっくり。満員なのだ。子供の両親・おじいちゃん・おばあちゃんがごったがえしている。そして皆の手には最新のデジカメやデジビデオが。私はというと渋くニコンF2だ。どうせそんなことだろうと予想していたので、あえて古いニコンにしたのだ。

豆粒くらいにしか写らないであろう距離でもみんな一心に撮影していたが、私は要領良く特等席を確保し、美しいメカニカルシャッター音を響かせたのである。この特等席を確保するというのが、写真の基本である。ロープでこれ以上前にでないでって規制されていようが、遠慮していてはイケナイ。叱られてもひるんではいけないのだ。私はロープより前に平然と構え、しかも競技や他のギャラリーの邪魔にならないように注意し撮り続けたのだ。この保育園の関係者と思われるくらい堂々と撮影できたのはいうまでもない。しかし、特等席とはいえ、多少無理な姿勢を強いられ腰が痛くなったのにはマイった。

現役の頃、鈴鹿8耐の取材時にはカメラ3台、300mm&500mmレンズをぶら下げ、なおかつカメラバックという荷物を背負って鈴鹿サーキットを徒歩で2周もしたものだ。それに比べなんとも情けないじゃないか。たかが2時間ほど立ってただけで腰にくるとは。。。これを衰えと言わずしてなんという。がく然とした私はその夜から腹筋と腕立て伏せを日課にしたのであった。



2002年10月8日 現実って?
10月7日午後11時、いつも見ているニュース23。親子6人心中のニュース。涙涙だ。なぜ、心豊かなはずの家族が心中なのだ。原因は借金による生活苦らしいが。。。彼らを死に追いやった金融業者はさぞかし寝覚めが悪いであろうが、何も死ななくってもねぇ。私のように、「ちょっと待って下さい」って言えばよかったのに。。。

そりゃぁ貸している方は「さぁ、返せ」って言うだろう。でも返せない。どうする?「返せません。ごめんなさい。」っていうしかないだろうに。それが辛いから、あるいはカッコ悪いから(そう思ったかどうか別として)家族を道連れに死を選ぶなんて・・
命の重さしかも家族の命だ、それを犠牲にするほど借金って重いものなのだろうか?

私はそうは思はない。前にも書いたように、この世は誰かがプログラミングした仮想世界かもしれないのだ。今まさにあなたのIDを「Delete」キーでいとも簡単に削除しようとしているかもしれない。私はそんなに簡単に削除されたくないが、この家族はそうして削除されたのかもね。。。

金利計算なんてコンピュータではお手の物だ。数分キーボードを叩けば複雑な複利計算なんて簡単にできてしまう。この世を支配するプレイヤーは、この家族に簡単なキーボード操作で命を捨てるに値するプレッシャーを与えたのかな。
ここまで書いてきて、やっぱり「どうして?」という表題になってしまう。この世の中ってどうなっているのだろう?私もDeleteされるのかな?
秋の夜長に、くだらないかもしれないが、「現実とは?」と考えてしまうのだ。



2002年10月11日 FIGP最終戦@鈴鹿
シューマッハの独壇場というより、他のドライバーが彼よりも格下の昨今のF1であるが、今シーズンもいよいよ最終戦である。今シーズンを振り返って(と言っても2〜3戦しかTVで観戦していないが)私は密かにモントーヤに期待していたのだが、予選はともかく本番が期待外れであった。

期待外れと言えば、私は最初から期待していなかったが「佐藤琢磨」を皆さんはどう思うだろう?私はハッキリ言って彼はダメだと思う。彼のファンには申し訳ないが、なぜダメかと言うと、それは彼の目だ。他のドライバーや過去の日本人F1ドライバーと比べるまでもなく目が笑っているからだ。セナプロストだけでなく中嶋や鈴木も近寄りがたいくらいの鋭くそして厳しい目をしていたものだ。それがプロであり、F1だけでなくどの世界でもプロと言われる者の目であるはずだ。

なのに、スタート前コクピットに収まってコンセントレーションに入ってもまだ目が戦っていないのだ。戦うプロフェッショナルの目ではないのだ。マシンのポテンシャル以前の問題なのだ。あたかもこれから家族でドライブに出かけるお父さんの優しい目と同じと断言しよう。こんな目でF1で戦えるはずはない、そう思えて仕方がないのは私だけではあるまい。彼に肉を切らせて骨を断つという厳しい戦いの姿勢の求めても無理ってものである。故に期待できないのだ、最初から。私が魅力を感じないシューマッハでさえ、唯一私は彼の目は好きである。

人間の心というものは目に現れる。目を見ればわかるのだ。ビジネスの現場で相手がいくら説明が下手でも目が真剣であるかぎり、へたくそなプレゼンテーションであっても心に響くものである。
なぜ 「佐藤琢磨」が来シーズンもF1に残留できるのか知らないが、私は彼をF1ドライバーとして絶対に認めない。週末の鈴鹿でもきっと目が笑っているに違いない。



2002年10月15日 我慢できぬ。
って、ら致被害者の帰国というか訪日である。14日、たっぷりと睡眠をとった私は(おかげで聖地巡礼がフイに)15日は午前6時から起床し、冴え渡る目でこのニュースをずーっとチェックしていた。

で思うんだけど、北朝鮮はこれで「みそぎ」が済んだと思い、日本国政府は「解決したぜ」っていばるんだろうね。国家レベルでは当事者の年月の重さなど議論の対象にはならないのだ。その証拠に小泉は「補償」という言葉をひとことも言っていないではないか。第二次戦争時の補償を声高に求めてくる北朝鮮である。チクチクと請求されてコメ支援やら経済支援など、ヤマほどぶん取られているのに、なぜ「さぁ、彼らの家族と本人の逸失利益を払ってもらいましょうか」と言えないのだ?

マスコミがなんだかんだと言っているが、騙されてはイケナイ。数週間もすると次の新しいニュースを追いかけるにちがいないのだ。つまり、当事者の20年以上という年月は一瞬(の報道、つまりそれがニュースだから報道しただけという報道姿勢)で消えてしまうのではないだろうか?喉元すぎればってヤツだ。当事者だけがこの年月の重みを胸にかかえてこれからの人生を歩む、そしてマスコミはそんな重みをどう報道するのだろう?
オウム事件もそうである。もう歴史のかなたに消えてはいないだろうか?オウム信者も洗脳され、指導者の言うままに行動してきた。でもそれはたかが数年の洗脳である。対してら致被害者たちは20年以上も洗脳されているのだ。しかも洗脳されたという事実を彼らは知らないのである。記者会見での不自然なコメントや堅い表情を見るまでもなく、彼らはもう普通ではなくなってしまったと判断せざるを得ない。

被害に遭われた本人のご家族には申し訳ないが、彼らは日本には帰ってこないと思う。20年以上洗脳されているのだ。オウムの麻原に洗脳されたのとはスケールが違うのである。彼らは現在の北朝鮮の窮状など知ることもなく、見掛け上「裕福」な国家に「いたれりつくせり」で生活を守られているはずだ。「偉大なる指導者にアナタは認められた。だから、この国へ来ていただいたスミダ」、「日本に残してきたアナタの家族にも喜んでいただいてるハセヨ」ってな調子で20年以上洗脳され続けたら、そう思っちゃうに決まってんだって。

中国の日本大使館での事件の際にも思ったのだが、ルールブックをどうしても自ら隠してしまうのが我が国の外交であるらしい。
国家として、死亡したと言われる8人の所在を徹底的に追及してもらいたい。マスコミも今のテンションを忘れることなく取材し続けててもらいたい。でないとほんとうにこの貧乏国にイイように搾取されるぜ。みんなが真面目に収めた税金がだ。



2002年10月21日 働け!(過激ではあるが、これだけは言っておきたい)
私の住んでいるココ名古屋市がホームレス用のシェルターを提供するとの事。
名古屋には有名な100m道路(若宮大通り)ってのがあり、道幅約100mのうち、真ん中の40mくらいが公園になっているのだが、ここ数年来、そのスペースをホームレスが占拠してきた。名古屋市が市民の憩いの場として巨額の税金を投入して作った公園をこともあろうにホームレスに占拠され、占拠しているホームレスの中には、どうやったのかわからないがTVを持ち込んでいる(もちろん見ている)ヤツまでいるというくらい奴らのやりたい放題の場と化していた。何度か名古屋市が退去勧告や強制退去という強硬手段に出たが、そのたびに訳のわからん「人権擁護なんちゃら」って奴らに阻止されるばかりで、醜悪な環境がのさばっていた。私は、「家賃」を徴収するぞ!って脅かしてやれば、蜘蛛の子を散らすように奴らは消えると確信していた。しかし、そうすると、どこか別の場所に移動するだけで、結果的に何の解決にはならないという迷いがあるのだろう。それは解るが、それを解決するのが政治であり、行政だろう。何より私は尚吾とあのスペースで遊びたいのである。写真も撮りたいのだ。なのに、ホームレスがのんびりとあくびなどしているのだ。不景気で仕事がないからと言い訳するのだろうが、そうは言わせない。「働け」と言いたい。何?仕事がない?「捜せ」だ。何もしようとしていないではないか。

他人の家の庭を占拠しているのと同じだろうに。ずうずうしいのにもほどがあるって。なのに、そんな奴らにシェルターなんか用意して住まわそうと言う名古屋市の判断はなんなんだ?目障りだから?擁護団体が怖いから?いろんな理由があるのだろうが、つけあがらせてどうするんだ。おまけにTVやビデオまで完備、なおかつ食事まであるらしいのだ。こういうのを、「くさい物にふたをする」というのである。悪しき日本人の習性である。1億5000万円もかけて「生産性」の全くない人々を守る必要がどこにあるのだろう?彼らはある意味、社会を捨てた人たちである。向こうが捨てたのに、どうして拾ってやる必要があるのか解らない。それも我々の税金でだ。
これもバカ小泉のキャッチフレーズ「柔軟かつ大胆な」解決方法なのだろうか? ばかばかしい。
 
富士カメラ5


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