名車プジョー205はWRCでの活躍もあり世界的にヒットした名車としてラテン車ファンにいまだ根強い人気があります。その名車プジョー205の血統というべき後継車がプジョー206です。1998年にデビューし1999年にはWRCにも参戦。2000年ははやくもチャンピオンになるという205がたどった軌跡を走り始めたのです。そんなプジョー206と私の関わりをニコン製フィルムカメラのF2・F3・F4S、およびデジタル一眼レフカメラD200で撮影した写真で紹介したのがこのサイトです。賛否はありますがサーキットや峠を走り回る私の記録です。もちろん家族の写真や旅の写真などプロカメラマンとして恥ずかしくないまじめなものも多く掲載しています。
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2003年2月3日 節分 私にとって今日2月3日は特別な日である。節分なのだ。この日をもって節が分かれる、即ち私の長かった厄年が終わるのである。1960年生まれの私は2000年2月3日から厄年に突入した。そして今日、前厄・本厄・後厄の長ーい3年間が終わるのだ。Diaryを読み返すとホントこの3年間にはいろいろな目にあった。206だけでもクラッシュ、水害、そして全損。仕事も山ほどの借金を背負う羽目に。。。でもメゲずによくここまで生きてきたなぁというのが実感である。悪いことばかりを厄のせいにはしたくは無いが、実際これでもかってくらいトラブルやアクシデントが多発した。常人なら発狂してるんじゃぁないだろうか。ポケットに200円しかなく、タバコも買えないときもあった。毎日のように督促電話をしてくる某クレジット会社のやりかたにホトホトくじけそうにもなった。しかし、私は負けなかった。きっと良くなるとだけ心に念じ、耐えてきた。昨年他界した友人の葬儀の際、「俺にはまだツキが残っている」と思ったものである。そして、全損事故のとき警察官が「よく生きていたなぁ」って感心したほどの事故でも私は軽い怪我だけで生還した。これは私のツキがまだ残っていたことの証である。借金取りに追いまくられることはあっても命は失っていない。 我が人生においてこれほど苦難の年はなかった。いい経験である。そう思うポジティブさが最後のツキをキープしたのかな。昨年の秋から、ようやく仕事も順調になりその中で新しい出会いに恵まれ、12月から新しいプロジェクトがスタートした。おかげで2月からはまぁまぁの収入が見込めるまでに状況は好転してきた。そして節分である。こう思うとやはり古くからの言い伝えというのは、案外正しいのかもしれない。 これだけ世の中が複雑化してくると、昔ながらのよき風習というか言い伝えみたいなものを忘れがちになるのだろう。そればかりかすべてにおいて真剣でなくなっちゃうのだろう。私がそうであった。なんとなくすごしてきたのだ。だから思いもしないトラブルに巻き込まれたのだ。昨年春そのことに気づいて以来、私は何事にも真剣に取り組んでいる。単純なことであるが公私ともに、「家族を大切に」「取り繕うことなく本音で」「感謝の気持ち」この3つを胸にきざみひたすら仕事をしている。よくいう「結果は後からついてくる」とは、よく言ったものである。説教くさくて申し訳ないが、何事にも真剣に取り組んでさえいれば、かならず良い結果がでるものなのだ。 節分を機にまじめに反省している私である。