名車プジョー205はWRCでの活躍もあり世界的にヒットした名車としてラテン車ファンにいまだ根強い人気があります。その名車プジョー205の血統というべき後継車がプジョー206です。1998年にデビューし1999年にはWRCにも参戦。2000年ははやくもチャンピオンになるという205がたどった軌跡を走り始めたのです。そんなプジョー206と私の関わりをニコン製フィルムカメラのF2・F3・F4S、およびデジタル一眼レフカメラD200で撮影した写真で紹介したのがこのサイトです。賛否はありますがサーキットや峠を走り回る私の記録です。もちろん家族の写真や旅の写真などプロカメラマンとして恥ずかしくないまじめなものも多く掲載しています。
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2000 February
2000年2月20日 私は峠が好きだ。 大変忙しい。仕事がである。ここ2週間ほど、ある商品のデザインをやっており寝る暇もないくらいだった。本職ではないのだけれどプロのデザイナー(友人)の指導のもとパッケージデザインを完成させた。本来この友人にお願いしていたんだけれど、webデザインの仕事が入っており(これが素晴らしい!!いずれリンクする予定)私がある程度しあげたところで彼に最終的な仕上げをしてもらうという方法で乗り切った。実はこの友人が私の「走り」の師匠であり、若かりし頃よく二人で峠を攻めに行ったものである。 もともとレーサーだった彼はAE86、私は205(その前は初代MR2)。彼の速さはハンパでなく行った峠はかならず制覇していた。よく助手席に乗せてもらい、つぶさに観察してて気付いたんだけどどんなに飛ばしていても「急」という文字が付く動作は全くなく、流れるような穏やかな動作で車をコントロールしていたなぁ。乗ってて安心っていうかホント彼の運転は楽しかった。その頃の峠は今と違って車も少なく、なおかつ民家からかなり離れていたのでクラッシュなどしようものなら誰もたすけてくいだけでなく、そのまま遭難しそうなくらいで怖かったんだけど、雑誌の影響なのか峠ブームがおとずれるとともに、私たちの足は峠からはなれたのであった。お互い社会人としてそれなりに仕事をするようになり、私も彼もますます「走り」から遠ざかり、くそ面白くもない社会に埋もれてしまった。 が、この日記の Introductionに書いたとおり、眠れる獅子は復活してしまったのだ。10年ぶりのマニュアル車でひどい肩こりに悩まされようと、だいの大人をこれほど無邪気な気持ちにしてくれるクルマは他にはないのである。 偶然であるが、私の眠りが覚めるのとPEUGEOTのWRC復帰が重なるなんて感激ものである。次のサファリは出場するのかなぁ。