名車プジョー205はWRCでの活躍もあり世界的にヒットした名車としてラテン車ファンにいまだ根強い人気があります。その名車プジョー205の血統というべき後継車がプジョー206です。1998年にデビューし1999年にはWRCにも参戦。2000年ははやくもチャンピオンになるという205がたどった軌跡を走り始めたのです。そんなプジョー206と私の関わりをニコン製フィルムカメラのF2・F3・F4S、およびデジタル一眼レフカメラD200で撮影した写真で紹介したのがこのサイトです。賛否はありますがサーキットや峠を走り回る私の記録です。もちろん家族の写真や旅の写真などプロカメラマンとして恥ずかしくないまじめなものも多く掲載しています。
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2002 March
2002年3月3日 聖地奥矢作 久しぶりに聖地奥矢作に出向く。掲示板にこっそりと単独オフ宣言をし、リフレッシュを兼ねての聖地入りである。午前10時半に妻を仕事場に送り、ついでに尚吾を実家に預けてという万全の体制であった。途中コンビニでサンドイッチを買い12時半ころ到着。ポカポカと小春日和の聖地は大量の花粉が飛んでいたのか、花粉症ではない私の鼻をくすぐった。いつもの駐車スペースに206を停め、のんびりとサンドイッチを食べながら持参したデザイン関連の書籍を読む。ほどなく隣にガンメタの205が停止。waraoさんである。手羽先オフ以来の再開だ。しばしプジョー談義に花が咲く。並んだ205と206が素敵だ(写真はそのうちMy206にアップ予定)。よく見なくとも205のデザインはやはり完成されている。改めてピニンファリーナの底力に関心した次第だ。どこをとっても隙が無いというのだろうか、どの角度から見ても「?」という点が無いのだ。対して206はどうか?フェンダーアーチやリアフォグあたりにデザインの甘さを感じるのは私だけだろうか。何を隠そう実は206を購入する際、真剣に205を探していた私は、出物の205が無かったのでやむなく206を購入したのである。waraoさんの205を見てホントに次期購入候補に加えたくなった1日であった。 仕事に向かうというwaraoさんと別れて、久しぶりに真剣に奥矢作を攻めてみた。ここは表コース、裏コースと別れているのだが、狭いが路面がきれいな裏コース(相走橋から時計周りにダムまで)を攻めてみることに。駐車スペースから右へハンドルを切りコースイン^^。右に左にと規則的にコーナーが迫る。徐々にスピードを上げる。すでにタイヤが大きなスキール音を上げ、限界を知らせている。かまわずスピードを上げる。ちょっとしたストレートで3速までシフトアップ。眼前に迫る右コーナー。ヒールアンドトゥで2速にたたき込みフルブレーキング、同時にステアリングをスパっと切る。ブレーキングアンダーでノーズがアウトに逃げようとする。このままだと壁面に激突だ。気合いを入れてブレーキを離す。一気にテールが振り出すのを予知し、アクセルコントロール。テールの振り出し具合をアクセルで制御し、コーナーを抜ける。爽快である。206に乗って初めて本気で攻めたのだが、限界挙動は205と同じであった。その昔聖地にて我が205が示した挙動と同じであったことにいたく感動。ブレーキング→ステアリング→アクセルとリズムよく次々とコーナーをクリア。私のアクセルワークにおてんばなテールもおとなしく従い爽快にコーナーを抜ける。1本7000円の台湾製タイヤもよく粘ってくれたがさすがにサイドウォールまで削れ、限界を越えていたのは一目瞭然。裏コースを3回攻めたあたりでブレーキがタレてきたので路肩に駐車し一服。暖かな風がそよぐ中深々と煙草を吸う。GTロマン@西風の世界である。一服し終えた私は帰途につき、猿投グリーンロードに向かう途中瀬戸方面への道を抜け瀬戸を経由して実家に戻った。夕方4時であったが、暖かかったので洗車。その後缶ビールを飲んで1時間程睡眠をとって尚吾と自宅に帰った。 とってもリフレッシュできた1日だ。40を過ぎたおっさんでもこのようなGTロマン風な1日を過ごすことができるのだ。奥矢作に洒落たカフェがあるといいのだが。。。